黒岩卓夫

自慢しても、そうかな、面白いなと思ってもらえることを列挙します。
❶ 異界から突如出現した北大路秩子と別れずに、7人の子をもうけたこと。

❷ 7 人の子たちは皆、個性そのものを人間として成長したこと。
スージンと乙水という空席ができてしまったけど、決して空席にはしない、したくない。心に深く生きつづけてほしい。

❸ 私自身が88才になって、まだ元気。乙水から「パイオニア」いわば「地域医療パイオニア」と提言され、満場一致で決まったこと。

❹ 私が社会的につくったものは、すべて30年から40年と継続し、今なお社会的存在として生きていること。
(1) 「全国地域医療研究会」(40年来)
(2) 「NPO法人地域共生を支える医療介護市民全国ネットワーク」(30年来)
(3) 「医療と宗教を考える会」そして「新潟命の物語を紡ぐ会」(20年来)
(4) 「ささえあいコミュニティ生活協同組合新潟」初代理事長(職員330人)
(5) 「医療法人萌気会」黒岩巖志理事長(職員320人)
(6) さらに推計になるが、大和病院関連で年間100億円、10年間1000億円、私がきて50年なので5000億円になる。
    たとえば、北里大学、国際大学が関連にあたる。そのほとんどが、雇用の拡充である。これは行政も確認している。
(7) ランクされた小さな叙勲「旭日双光章」などありがた迷惑だ。

内容それぞれだが、私が立ち上げてもつぶれずに、30年から40年生きつづけることは不思議だ。
国民健康保険大和町診療所で、 聴診器一本で50年かかったが、「ゆきぐに大和総合病院」から「魚沼基幹病院」を中
心とする「地域完結型地域医療システム」をつくったこと。
そして、心境的には、「死ななかった」「一本の聴診器」が他力のシンボル。「一歩一歩が小さな革命の連続」だった。