桐鈴会理事長
黒岩秩子

 すごい本でした。
 優生保護法によって、不妊手術をさせられた人が原告になった裁判で、勝訴した。ところが、この不妊手術をされた人の85%が精神障がい者であるにもかかわらず、原告の中には、精神障がい者はいなかった。
 1950年ごろに東京都立松沢病院で、「臺実験」(うてなじっけん)と呼ばれる人体実験があった。ロボトミー手術をした人の脳を生検用として、切除する。この臺はその後、東京大学の教授となっている。
 内村鑑三の孫、内村祐之が東大の教授となって、「精神病は遺伝する」というでたらめを定着させた。
「精神病遺伝説」は医学教育を通して、医者たちに浸透し、マスコミを通して社会に浸透した。これも反省もないままに消滅している。たくさんの精神障がい者が、この考えのもと死んでいっているにもかかわらず。

 北海道は特に優生手術がたくさんされている。北大の医学部が大活躍をし、「優生手術1000件突破を顧みて」という優生手術を礼
賛する記録誌を北海道衛生部が出している。この本の中にはもっともっとぞっとするような実話が出ている。
 中高校の教科書に書いてある「精神病遺伝」説が、優生保護法と精神衛生法という2つの法律によって広められた。野田さんはこ
れらを批判して、朝日ジャーナルに2 つの論文を出した。それによって、教科書は書き換えられた。
著者を抜きに出版社が反省も謝罪もないまま、書き換えたのだ。
 うつ病や、発達障害という病名を多発することで、向精神薬、精神安定剤、覚せい剤が過剰に投与された。それらによって自殺に追いやられていた。
 野田さんは1969年に北大医学部を卒業して、1970年からの8年間、滋賀県の湖西地域で、精神科病院の実験を始める。地域に作ったり、精神疾患の患者さんが、地域の中で暮らせるようにと、あらゆる企画を実践に移している。3人の患者さんの例を事細かに紹介しているので、彼らがどんな取り組みをしたのかが具体的に良くわかる。

★旭川の少女自殺事件と「発達障害」
 亡くなった少女は小さい頃は、少し目先がきく普通の子だった。
ところが、先生が謝りに来なさいといったとき、彼女はその行為をしていなかったので、行かなかった。それを発達障害といわれ、病院に行かされて、精神安定剤を飲まされる。「朝の薬を飲むと、ボーとして自分ではなくなる。夕方から、やっとそれから解放されて、私自身になる」と本人が言う。そして、中学に行くといじめられる。精神病院へ行って入院させられる。自殺予防に素っ裸にさせられる。上級生や同級生たちが寄ってたかっていじめる。かくて雪の中での遺体発見となる。

★まさに「発達障がい者作り!」
 事件後に調査委員会が2回開かれている。第2次調査委員会に精神科医として参加して、報告を書いたのは斎藤環。「いじめ被害のト
ラウマによってPTSDに罹患していた」と。何も調べることなく書いている。斎藤環は、フィンランド
における「オープンダイアローグ」を日本に紹介した人として知っていたので、この話にはびっくりした。
 この事件については、「発達障がい者作り」の典型的な事案と思われる。

「流行精神病の時代」野田正彰著、鹿砦社刊、2025,9,1、第1刷