社会福祉法人桐鈴会理事長
黒岩秩子
11月1日、病院を後にして、福祉タクシーでハイマート・ハイム・島田につきました。知っている人がいっぱいです。芹田の青木和江さんは、卓夫への歓迎の俳句をいくつか読んで、写真を添えて、歓迎の紙を用意してくださっていました。患者さんとしての長い付き合いだったようです。
100才の石田マスさんも歓迎してくれました。卓夫がずうっと往診をしていた方で、5月4日に米寿のお祝いをしてもらったときに、揺光が訪問して動画を撮ってきた方でした。職員たちはもちろん知っている方ばかりです。その日から、食欲が出て、「完食です」と言われ、おやつもたくさん食べて、食事もほとんど完食。半月で6キロ体重が増えました。
私は毎日午前に午後にと訪問していますが、ベットに寝ていたことがなく、皆さんが一緒に過ごすデイルーム(食堂でもある)に車いすでいるのです。皆さんがかるたやトランプをしているのを眺めています。字が読めないので、参加はしないのですが、そばにいることがうれしいみたい。不思議なことに、おじいちゃんがほとんどいなくて、ほとんどおばあちゃんです。「奥さんが帰ったら、涙流しているから、私が拭いてあげたんですよ」などと冗談を言います。
あるとき、車いすでテーブルに向って左手でテーブルを抑えて、立ち上がりました。そして、右を私が支えたら、右に歩き出したのです。麻痺している右足を自分で前に動かせたのです。ビックリたまげました。テーブルの端まで1,5メートルぐらい歩いてしまいました。それから、排便を浣腸しなくてはできなかったのに、トイレで自力でできるようになりました。これは、寝ていないで、起きているからだということです。
11月9日に、関西方面から、7人もの方が来られました。1992年に卓夫と一緒に在宅のネットワークを作り上げた名古屋の畑恒土先生、高槻の中嶋久矩専務、そして京都の永原宏道さんが、妻と子ども3人に支えられて車いすで来られたのです。11年前に卓夫と同じ左脳梗塞を患い、失語症で、右片麻痺です。卓夫と永原さんは感動して、涙を左手で拭いているのでした。この方が、「君恋し」を全部歌ってくれました。言葉と歌とは、使う脳の場所が違うのだそうです。人に支えられれば何とか歩行ができ、毎年「メイドの土産ツアー」と称して親族で旅をなさっているのでした。
これにもずいぶん励まされたようでした。ハイマートの職員たち、入居者たちの皆さんからの愛情が何よりです。12月6日に、亡くなった乙水との「お別れ会」が、湯沢のホテルナスパで開かれたのですが、卓夫は行きたいというので、みんなで力を合わせて連れて行くことができました。知り合いの方がきて下さる度にうれし涙でした。



